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こんな方におすすめ
- 緩和ケアに携わる医療者
- 「ACP」や「多職種連携」に違和感を覚えたことがある看護師・医師
- 言葉の意味を、深く考えたいすべての人へ
目次
🌿 はじめに
2025年、春。
久しぶりに、心が震えるような講演に出会いました。
緩和ケア研究会で登壇されたのは、私が心から尊敬する医師・徳永進先生。
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ホスピス医療の先駆者であり、社会や医療の“タブー”に正面から切り込む、まさに「医療のきりこみ隊長」。
今回は、その特別講演から、心に深く刻まれたメッセージを共有させてください。
🌿「1の言葉」と「2の言葉」――言葉の質を見抜く力
徳永先生は、冒頭で「言葉には二種類ある」と語られました。
1の言葉:デジタル言葉、大人の言葉、建前の言葉
2の言葉:アナログ言葉、子どもの言葉、本音の言葉、はるか昔からある原語
この説明に、私はハッとさせられました。
まるで「光」と「影」、「本音」と「建前」。
人は両方を持ち合わせており、どちらもなくてはならないものです。
しかし、今の医療現場は、1の言葉で溢れている――。
それは、データ、ガイドライン、マニュアル、そして「正しいこと」だけが語られる世界。
2の言葉を使うことが、時に許されないような空気さえ感じます。
🌿ホスピスは「1の言葉」に抗う場であったはずが…
ホスピス・緩和ケアの原点は、「人間らしさ」と「語られない想い」に耳を傾けることだったはず。
しかし今、ホスピスでさえ「1の言葉」に包囲されているように思えると、徳永先生は警鐘を鳴らしました。
🌿きれいな言葉に逃げていないか?――“本気の一人”の力を信じて
「寄り添う」「受容する」「多職種連携」「ACP」――
これらは今、医療や看護の場で頻繁に使われる言葉ですが、徳永先生は**その“言葉の美しさ”に甘えていないか?**と問いかけました。
🪻「寄り添わなくていい。ただ、そばにいればいい」
「“ビーイング”ができれば、それでいい」
この一言に、私は救われた気がしました。
寄り添おうとするあまり、うまくできない自分を責めていたこともあった。
でも、“そばにいる”ことの力を、もう一度信じてみたいと思えたのです。
🪻本気の一人がいれば、すべては回る
また、「多職種連携」についても、徳永先生はこう語ります。
「すべてが連携する必要はない。本気で向き合う誰かがいれば、それでいい」
「その人と、真剣に相談できる関係性があれば十分だ」
まさに、本物の“つながり”とは何かを問う言葉です。
形式的な会議や記録だけの連携ではなく、たった一人でも本気の人がいれば、それが医療の底力になる――その言葉に、私は勇気づけられました。
🪻受容は、義務ではない
「受容」も、時に押し付けのようになってはいないか?
「すべての人が受容できるわけではない。できる人がいれば、それでいい」
「受容は、決して押しつけるものではない」
本当に受容できる患者はごくわずか。
信仰心の強い人、頑固な人など。ほとんどの人は最後まで揺らぎ迷っていると。
でもそれが現実であり、それでよい。
そしてそれは医療者にも言えます。
患者の人生をまるごと“受け止めよう”とする意欲は大切ですが、「できない自分」もまた誠実であると認めること。
無理に背負わず、しかし誠意をもって向き合う――それが看護の本質ではないでしょうか。
🪻ACP~ときに患者や家族を“型にはめる”危うさがある
これは国(厚生労働省)が推進している考え方ですが、「制度ありき」で語られると、本人の“2の言葉”を拾わず、かえって苦しめることにもなりかねません。
🌿死に向かう人への、揺るぎない敬意
「人は、どんな過程であったとしても、死に向かう存在は立派である」
この言葉に、胸が熱くなりました。
たとえ葛藤や混乱の中にあっても、終末を迎える人には、揺るぎない敬意をもって接するべき。
それこそが、ホスピスや緩和ケアの根底にあるものだと、改めて感じました。
🌿ガザの現実に学ぶ――私たちは悩める特権を持っている
講演の終盤、徳永先生は世界の現実にも触れました。
「ガザのような地で、大量の人が理不尽に死んでいく。
家で死ぬとか、病院で死ぬとか、そんなことはもう問題ではない。
ホスピスが贅沢に思える状況もある。
悩めること自体が、国家に守られている特権なのだ」
私たちは、悩むことができる。選ぶことができる。
その“豊かさ”と“責任”を忘れてはいけないと、胸に刻みました。
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🌿看護師という存在――楽しむこと、学ぶこと、気配を感じること
「看護師は“患者のため”と言いながら、実は自分が一番喜び、楽しんでいる。
それが特権であり、それでいい」
私たちの仕事が、自分自身の糧になっていること。
その喜びを肯定してくれる言葉でした。
そして、疲れたら逃げてもいい。そうでないとそばにいることはできないと。
看護師も同じ人間であり、いずれ同じ道を歩く人なのです。
🌿「難しい患者さんは、“師匠”なんだよ」
この言葉にもまた、看護師としての姿勢が凝縮されていました。
私たちは患者から学んでいる。
だからこそ、「患者様」ではなく、普段の言葉で「患者さん」と呼ぶ。
2の言葉で、本音で関わる――それが一番自然な医療者の姿かもしれません。
🌿気配のケア――エビデンスはなくても、そこに“臨地の知”がある
「看護師は、気配のケアをしている。
家族の気配を感じ取って、ケアしている。
それはエビデンスでは証明できないかもしれないが、確かにあるものだ」
私はこの言葉に、「臨地の知(現場で磨かれる知性)」を思い出しました。
教科書に載らない“感じる力”こそが、看護の真髄なのです。
🌿おわりに――言葉の奥にある“誠意”に立ち返ろう
今回の講演は、私にとって「看護とは何か」「医療とは誰のものか」を問い直す時間となりました。
制度でも、理論でもなく、2の言葉で、人として本音で向き合うこと――
この講演を通して、私は改めて「言葉の重さ」と「看護の本質」を問い直しました。
建前や制度ではなく、本音や想いに届くケアがしたい。
そして、それはマニュアルには書かれていない。
「2の言葉」にこそ、寄り添う以上の“共に生きる姿勢”がある――そう感じた時間でした。
今日もゆるーりとね💕