こんにちは。このブログの管理者
ゆるーりすと のぴまゆです。
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こんな方におすすめ
- 高齢の親の介護をしている方
- 胃ろうや延命治療の選択に悩んでいる方
- 終末期医療や看取りについて考えたい方
- 医療・介護従事者として倫理的葛藤を抱えている方
- 自分らしい最期について考えてみたい方
目次
はじめに
先日、萬田緑平先生の著書をもとにした記事
「胃ろうはすばらしいと思い込んでいた…医師が絶句した寝たきりの患者が集められる部屋の光景」
を読みました。
読みながら、私はある光景を思い浮かべました。
実は私も当直の時に、まさに同じような光景を目にしているからです。
ベッドに横たわる多くの高齢者。
胃ろうから栄養が注入され続ける。
言葉を発することは難しく、意思表示も困難。
拘縮が進み、自分では身体を動かせない。
その光景を見たとき、
「本当にこれでいいのだろうか」
そんな思いが胸をよぎりました。

これは決して胃ろうを否定する話ではありません。
むしろ、胃ろうという医療技術は本来とても優れたものです。
しかし、その使われ方については、私たち医療者も家族も一度立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。
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日本緩和ケア医療学会2025 in 徳島【第1弾】ACPと共同意思決定から学ぶ医療者の役割
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胃ろうは本来すばらしい医療技術
胃ろうは、お腹に小さな穴を開けて胃に直接栄養を送る方法です。
一時的に口から食事ができなくなった患者さん。
脳血管障害から回復途中の患者さん。
ALSなどの神経難病の患者さん。
そうした方々にとって胃ろうは命を支える重要な医療です。
中心静脈栄養に比べ感染リスクも少なく、必要な栄養を効率よく補給できます。
実際に多くの患者さんが胃ろうによって回復し、再び口から食べられるようになっています。
問題なのは胃ろうそのものではありません。
問題は、
誰のために胃ろうを造るのか
ということです。
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EDARとは?「死んでもいいから食べたい」に向き合う緩和ケア看護師の葛藤
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本人の意思が見えなくなる終末期医療
認知症が進行し、自分の意思を伝えられなくなったとき。
脳梗塞後に重度の後遺症が残ったとき。
医師から家族へ説明があります。
「胃ろうを作りますか?」
「中心静脈栄養にしますか?」
「何もしませんか?」
家族にとって、これは非常につらい選択です。
少しでも長く生きてほしい。
何かできることがあるならしてあげたい。
そう思うのは当然です。
しかし、その選択の場に本人はいません。
本当はどうしたかったのか。
何を望んでいたのか。
その答えが分からないまま、家族は決断を迫られます。
私はここに終末期医療の難しさがあると思っています。
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「代理決定者」ではなく「代弁者」へ──ACPにおける本当の信頼と意思尊重とは?
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母の最期に迫られた選択
実は私自身も、その選択を経験しました。
認知症だった母が病院で寝たきりとなったときです。
医師から提示された選択肢は、
胃ろう
あるいは
中心静脈栄養でした。
私は胃ろうを選びませんでした。
なぜなら、これまで多くの胃ろう患者さんを看てきたからです。
もちろん胃ろうで元気になる患者さんもいます。
しかし終末期の認知症患者さんにおいては、
「生きるための医療」
ではなく
「生かし続けるための医療」
になっているのではないかと感じる場面もありました。
だから私は胃ろうを選択しませんでした。
ただ、だからといって中心静脈栄養が正しかったとも思っていません。
今でも答えは出ていません。
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家族は“代理決定者”ではなく“代弁者”──ACP実践で学ぶ、緩和ケアでの家族支援のあり方
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胃ろうを選ぶ家族を責めることはできない
私は緩和ケア病棟で多くの家族を見てきました。
「まだ生きていてほしい」
「もう少し一緒にいたい」
そう願う家族はたくさんいます。
胃ろうを選択する背景には愛情があります。
決して間違いではありません。
だから私は胃ろうを選択した家族を否定するつもりはありません。
むしろ、その苦しい決断を尊重したいと思っています。
しかし同時に、
もし自分だったらどうしてほしいだろう。
そんな問いも持ち続けています。
看護師として。
娘として。
私は今もその狭間で揺れています。

ACP(人生会議)の大切さ
だからこそ私はACPの重要性を感じています。
ACPとはアドバンス・ケア・プランニング。
いわゆる人生会議です。
元気なうちに、
どんな医療を望むのか。
どんな最期を迎えたいのか。
誰に代弁してほしいのか。
家族と話し合っておくことです。
もし本人の意思が分かっていれば、家族は少し救われます。
医療者もその人らしさを大切にできます。
終末期になってから考えるのでは遅いこともあります。
だからこそ、元気な今から話し合うことが大切なのです。
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エンディングノートとは?心安らかに迎えるための準備とACPとの違い
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まとめ|現代医療の光と影を見つめて
胃ろうは素晴らしい医療技術です。
多くの命を支え、多くの患者さんを救ってきました。
しかし一方で、
本人の意思が反映されないまま行われる延命治療。
長期間の寝たきり状態。
家族の葛藤。
人手不足の介護現場。
そうした現代医療の影の部分も私たちは見つめなければなりません。
私は胃ろうを否定したいのではありません。
ただ、
「本人は本当にそれを望んでいるだろうか」
という問いだけは忘れてはいけないと思うのです。
答えは一つではありません。
だからこそ私たちは元気なうちから、自分の人生の最終章について語り合う必要があるのではないでしょうか。
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アドバンスケアプランニング(ACP)って何?
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のぴまゆより
緩和ケア病棟で働いていると、「もっと早く本人の思いを聞いておけばよかった」という言葉を家族から聞くことがあります。
皆さんは、もし自分が食べられなくなったとき、どのような医療を望みますか?
ぜひ一度、大切な人と話し合ってみてください。そこからACPは始まります。🍀

今日もゆるーりとね💕





