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- 教育原理について知りたい
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目次
教育の歴史と哲学の背景を掘り下げる
教育は人間特有のものであり、時代、文化、哲学的な視点を背景に進化してきました。
この記事では、教育の歴史や哲学的な背景に焦点をあて、人間と教育の本質的な関係を探究します。
教育とは人間だけの特権
教育は、人間と他の動物を一時的に重要な要素です。
動物も子どもを「育てる」ことはありますが、「教育」という意図的な介入を行うのは人間だけです。
人間は言葉や文化を持つ存在であり、これらを次世代に引き継ぐ必要性から生まれました。
なぜ教育は必要なのか?
哲学者の視点からは、以下の2つの考え方があります:
本能の欠如を補うため(ゲーレンの理論)
動物と違う、人間は本能だけで生きていけないため、教育中にその「欠陥」を補います。
本能以外の余剰を活用するため(丸山の理論)
人間は本能を超えた知識や文化を持つため、それを発展させる手段として教育が必要です。
このように、教育は「育つ」ことと「教える」ことが不可分に結合した行為であり、生物学的な成長と社会的な発達を同時に支えるものと考えられます。
教育の哲学の背景:経験と学習の関係
教育における「経験」と「学習」の関係性は、哲学的な議論の中心となってきました。
以下に主な哲学者の視点を紹介します。
1.アリストテレス
「すべての教授や学習は、学習者の中にすでに存在する知識から生まれる」(『分析論後書』)と唱えました。
日常的な経験を学習の出発点として教育、知識を積み重ねていく過程として捉えました。
2.ベーコンの近代経験論
ベーコンは「イドラ論」を唱えました。多くの経験を持っているがゆえに、先入観をもって物事を見るために誤る。経験は誤りの温床である。
実験により検証可能なもの、普遍的・一般的な知識を教えるべき知識と唱えました。
3.ヘーゲルとフンボルト
ヘーゲルの「弁証法」は、経験の中にある弁証法的運動によって意識のなかに新しい対象が生まれる。
つまり、差異を誤差と考え、意識から切り捨てれば、弁証法的運動はおきない。
しかし、差異を相違として捉え、これまでの考え(知識)にリフレクションする、学ぶ主体が大事であるということをいっています。
4.ベンヤミンの経験の貧困
ベンヤミンは、ナチス時代の影響を受けながら「物語から情報への転換」に注目しました。
彼は、コピー技術(コピー)の発達によって経験が簡単に共有されることがあり、その価値や質が低下していると指摘しました。
現代社会における教育でも、情報の多さと経験の浅さが課題として挙げられます。
5.デューイと教育の再構成
ジョン・デューイは、教育を「経験の再構成」として捉えました。
彼は次の2つの原理を挙げています
①連続の原理
現在の原理経験は過去のつながり、未来の経験へと影響を与えます。
②相互作用の原理
人間の経験は、主観的関与(個人内の要素)と客観的関与(外部的環境)の相互作用によって形成されます。
デューイの「経験の再構成」と教育の実践
デューイは教育を「意図的に経験を再構成すること」と定義しました。
教育の目的は単なる知識の伝達ではなく、学習者がその知識を活用し、新たな経験に気づかされるようにすることだと言いました。
次回の記事ではこのデューイの「経験の再構成としての教育」について説明していきます。
今日もゆるーりとね💕