こんにちは。このブログの管理者
ゆるーりすと のぴまゆです。
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それではゆるーりとご覧ください。
こんな方におすすめ
- 緩和ケアに関わる医療従事者
- ACPや死生観に関心があり、患者や家族との関わり方に悩む人
- 地域や在宅で患者を支える医療・介護職
- 「人生会議(ACP)」や「生きる意味」に関心がある方、家族の看取りを経験した方
はじめに
徳島で開催された日本緩和ケア医療学会2025。
学会プログラムにあった市民公開講座に参加しました。
タイトルは、京都大学大学院 人間・環境学研究科の佐藤泰子先生による講演、
「妖怪人間ベムは永遠に笑わない~生きる意味は間(あわい)に~」。
まず、このユニークなタイトルに惹かれて会場に足を運んだのですが、期待を良い意味で裏切るような流暢な大阪弁の語り口にぐっと引き込まれました。
話し慣れていらっしゃる先生の、あたたかみのある講演はとても印象的でした。
生きる意味は「間(あわい)」にある
講演では「自殺」や「生きる価値」の問いが取り上げられました。
「自分には価値がない」「生まれてきた意味が分からない」――そうした声を耳にすることは少なくありません。
けれども先生は、「生まれてきた意味や価値なんて、誰にもわからない」と指摘されました。
重要なのは、その事実にどのような意味を持たせるかはその人自身に委ねられているということ。
同じ出来事でも良い意味にも悪い意味にも解釈できる。
つまり「生きる意味は最初から与えられているものではなく、自分の中でつくっていくもの」なのです。
苦悩を吐露することの大切さ
人間は意味を見いだせないときに苦悩し、孤独の中で苦しみます。
しかしそのとき、他者に話し、吐き出すことで少しずつ整理され、状況が把握できるようになります。
先生は「大切なのは傾聴であり、否定しないこと」と強調されました。
適切なアドバイスを与えることよりも、ただ耳を傾けること――それが人を支える力になるのです。
尊厳は他者によって与えられる
特に心に残ったのは、先生の次の言葉です。
「尊厳は他者によって与えられるもの」。
人は一人で死んでいきます。立派な葬式があっても、亡くなった本人にはもう届きません。
けれど、生きているあいだに他者から尊厳を認められ、支えられることは、人生を大きく意味づける力になります。
妖怪人間ベムが願うもの
妖怪人間ベムは「早く人間になりたい」と願います。
永遠の命を持ちながらも、限りある命を懸命に生きる人間に憧れるのです。
未来が見えないからこそ、今を必死に生きる人間の姿。
この「有限性」にこそ、人生の意味が宿るという視点はとても示唆的でした。
医療者・家族は伴走者
先生は最後に、「人は一人では生きられない。
だからこそ伴走者が必要」と話されました。
医療者や家族は、患者の人生に寄り添い、ともに走る伴走者です。
もちろん、それは簡単なことではなく、時に根気を要します。
しかし患者は、その根気強く伴走する覚悟をしっかりと見ているのではいかと感じました。
自分は患者に伴走できているのか、、、私自身にも強い問いかけとなりました。
まとめと所感
佐藤先生の講演は、ユーモアと哲学が織り交ぜられた、非常に深い内容でした。
「生きる意味は与えられるものではなく、自分と他者の間(あわい)で育まれる」
その視点は、日々患者や家族と向き合う私たちにとって大切なメッセージです。
問題解決志向に陥りがちな医療者だからこそ、まずは「傾聴し、否定せず、伴走する」という基本を忘れずにいたい。
そう思わせてくれる貴重な時間でした。
学会での真剣な学びのあとは、徳島の街や宮島の夜景を楽しむ時間もありました。
次回【番外編】では、そんな旅の様子をお届けします。どうぞお楽しみに!
今日もゆるーりとね💕