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ゆるーりすと のぴまゆです。
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こんな方におすすめ
- 教育の本質が知りたい
- 学ぶということの意味を探究したい
はじめに~教育とは何か――教育の探究を始める
教育について考えることは、教育者としての根っこを見つめ直すことです。
今回の記事では、教育とは何かを問い直す、「教える」とは何を意味するのかを探っていきます。
知識や技術を伝えるだけの行為ではなく、人の人生や価値観に深く関わり、影響を考慮します。
教育哲学の視点から、その本質に迫ります。
教育を語る際に必要な「問いの立て方」
教育者として、無意識に経験を語るのではなく、その横にある哲学を言語化し、他者に伝える力が求められます。
教員としての価値観や目的を明確にすることが重要です。
それはただ単に学生に知識や技術の伝達でなく、知識の羅針盤となり、時には人生のコンパスとして関わっていくこともあるからです。
このように人生のコンパスとしての関わっていく重みや素晴らしさを認識する必要があり、教員の「ひととなり」はとても重要です。
教育はしばしば「成る」過程といわれますが、「成る」とはゴールに到達することではなく、新たなスタートラインに立つことを意味します。
「成る」という言葉は、一見すると「目的地に到達する」「完了する」というイメージを伴いがちです。
かつて、学生が学校を卒業する瞬間は、「学びが終わった」ということを意味するのではなく、社会人としての学びのスタートラインに立つ瞬間とも言えます。
その場合も、専門知識や技術を習得した「終わり」ではなく、実践しながらさらに深い学びと成長が始まる出発点に過ぎません。
この考え方は教育の本質を捉えています。教育は限定「完成品」を考える過程ではなく、人が学び続ける力を育てる過程なのです。
教員の役割もまた、学生に「ゴール」を提供するのですではなく、「次のステップに進むための準備」を手助けすることにあります。
このように、「成る」というのはある意味で「変化し続ける力を身につけること」であり、その瞬間に立つこと自体が教育の重要な成果と言えるのです。
この視点を持つことで、教育は「完了」ではなく「継続」の心構えであることがわかります。
教えることと学ぶことの関係
教育の核心は、「教える」という行為があります。
しかし、「教える」とは何でしょうか?行為です。
「教える」は常に「学ぶ」を目指しています。
では学生に学ばせるためにどのように教えればよいのでしょうか。
「教える」と「告げる」ことの違いについて考え見ましょう。
AさんはBさんに「ごみを拾うように」ということを告げた
目の前のごみを→1回性
AさんはBさんに「ごみを拾うように」ということを教えた
ごみがあればいつも→一定の状況における反復性
Bさんがごみを拾い続けるためには告げるのではなく教えなくてはなりません。
Bさんがごみを拾うという事実的命題で、「Bさんは学んだ」と判断することができるでしょう。
教育とは、人間が他の人間の心意的性向(考え方や感じ方)の組織を積極的に改善し、価値あるものとして永久に保持し、当然と評価される性向の発生を防ぐ社会的行為です。
この定義には、教育が価値を実践することが含まれています。
善さへの志向を持ちながら、人々の人生に関わる行為そのものが教育と言えます。
教育の目的――自立と自律
教育の目的の一つに「自立」がありますが、それは単純に経済的な自立だけではありません。
「自律」――つまり、自分で判断し、行動する力を育むことが求められます。
教員は単に知識を考えるだけでなく、その知識を活用するための「羅針盤」としての役割を果たすことが重要です。
まとめ~教育の重みと教師の役割
教師に求められるのは、知識や技術を伝えることだけではありません。
教師自身が変わることで、学び手も変わります。
教育関係は、一方的な教えの場ではなく、双方向的な成長の場そのため、教師自身が自己変革を続けることが、教育の質を高める鍵となります。
次回の記事では、教育の歴史や哲学の背景について掘り下げます。
教育の探求はまだ始まったばかりです。一緒に深く考え、学び続けましょう。
今日もゆるーりとね💕